この5日間に思ったこと
地震発生から5日目の今日が、息子の誕生日。25歳。もう立派なおっさんである。出しぬけに「もう大丈夫かな~」と息子がつぶやいた。えっ何が?何が、って地震…。あー地震ね…。「大丈夫なんじゃない?余震もおさまってきたし…。まさか月曜日以上の強い地震が今から来るってことも無いだろうし…」と私がぼんやり応える。 私に質問してどうするのよ、わかるわけないじゃん、地震の予測なんて、と思って可笑しくなる。この人に訊いたって何の足しにもならないと知りながらも、ものを尋ねたりすることって、そういえばあるよな~。 今日の小テスト大丈夫かな、大丈夫よ昨夜勉強したんだから…。あした遠足行けるかな、大丈夫よきっと晴れるよ、だからもう寝なさい…。そんなやりとりを息子が幼い頃には沢山したような、しなかったような…。 自分の不安を言葉にしてみて誰かに伝えると、相手から「大丈夫」という言葉に置き換わって戻ってくる。そういうカラクリを、幼い頃から、おそらくは主に親との間で、くりかえし学習してきて、だから不安な時にはそのカラクリの結果の「大丈夫」を期待して誰かにつぶやいてみたりするのかもな…。人間が言葉を生んだのは、不安を誰かと共有するためなのかもしれない、と思う。 私は大阪府北部、茨木市に住んでいる。今週月曜日の地震の震源地から5~6㎞のところだ。地震のあったあの時は、揺れのあまりのすごさに、悲鳴を上げて(あるいは絶叫して)しゃがみ込んでしまった。立っている右足と左足が全然違う方向に引っ張られ、家の床がねじれてもぎれるんじゃないかと思うような激しい揺れ方だった。震源に近いとこうなるのか、立っていられない状態とはこういうことか、と思い知った。 急いでドアを開けて逃げ道を確保だの、机の下に潜り込めだの、やれるもんならやってみ? とてもじゃないけどできへんで、です。震度6弱でこれだから、震度7を超えた阪神大震災や東日本大震災では、いかばかりだったろう…。 幸いなことに物が少し落ちたぐらいで大きな被害はなかったが、街には緊張感がまだまだ漂っている。たとえばガスは未だ通っていないし、図書館や保育所は閉まっているし、小学生の登校時には大勢の大人が数メートルおきに黄色い旗を持って立っているし、交通機関はマヒしているし、スーパーが閉まっていたり、開いていても物が無かったり…。 が、ひとまず平常に生活してます。周りもみな平静です。今日も「普通」に「日常」を送っています(非日常ながらも)。 そんな気でいたからか、自分が被災者というジャンルに該当すると気づいたのは、昨日(地震から4日目)になってからだった。住所を証明できるものを持参すれば、大阪市でも神戸市でも銭湯がタダになる、というアナウンスが入ってきたのた。「被災者にお風呂を無料で提供します♪」と。 えっわたし被災者なの。いやいや生活に支障ないのに被災者はおかしいでしょ。いやまて、被災者って災害にみまわれた人のことだね。たしかに私、災害に見舞われた、ね。それにガスが止まってお風呂に入れないしね。じゃあ立派な被災者だ。いやいや、だからって“被災者”はおかしいでしょ。フツーに生活しているし仕事してるしお菓子ボリボリ食べたりテレビだらだら観たりしているし…。 「わたくし竹田は被災者です!」と言っても誰も文句は言わないだろうけど。でもご当人(私)にはものすごく違和感あるんですけど・・・。 そこで思う。“被災者”という言葉。これまで私はあまりに粗雑に使ってこなかったか。ひとりひとりの生活事情や信念や心情をパッと覆い隠す便利な言葉として使ってこなかったか。被災者という言葉を使うことによって、“被災者でない人”という“より安全なジャンル(グループと言っていい)”を自動発生させて、そこに自分を収め自分の精神的な安全を確保しようする指向が無意識のうちに働いていなかったか。 まあ、そんなことを地震を体験してからの数日間であれこれ考えることとなりまして。こんな体験的思考を経て、固くなった頭をここで一度ほぐして、ほわほわと考えを馳せられるようになって、もう少しまともになって、支援者としてもう少しましになれたらいいな~、などと思っているところです。