正しい「お別れの仕方」とは
久しぶりにグループに参加した。若い頃は、泣いたり怒ったり、よく感情をあらわにしていたけど、ずいぶん心の波風が立たなくなったと思う。気持ちが安定していると言えるのか、それともネガティブな感情を抑えてしまっているのだろうか。自分が感情的にならない分、私のことで若い人たちが代わりに怒ってくれているような気がした。
私はこの春転職する。私個人のテーマだと思っていたが、当たり前だがみんな多かれ少なかれ、転職の経験があり、そしてそれにまつわる未消化な感情を持っていることを知った。みんなが祝福されて職場を去るわけではない。むしろそんなことは稀かもしれない。
今回改めて思ったことは、私は「お別れが下手」だということだ。これまで私は職場を転々としてきた。次の職場で10か所めになる。少ない回数ではないだろう。そしてそれだけの「お別れ」を重ねてきたことになる。そのたびに私はどうしてきただろう。きちんと周りに説明してきただろうか。今回のグループで、「残された者の気持ち」を聞いたことで、そう振り返った。
転職は、自己実現に向かうステップであり、自分の問題だと思っていた。勇気を伴う自分のチャレンジを、他人が理解しようがしまいが関係ないと。残された人の気持ちなんて考えたことがあっただろうか。いつも前を向いて生きてきた。後ろを振り返らずに。
自分の人生の課題を達成するために、他人への説明が必要なのだろうか。今でもまだわからない。ただ、人は納得したい生き物である。説明がないと、自分なりの想像を働かせて、つじつまが合うように考えるだろう。つじつま合わせは時に負担になるかもしれない。
せめて残された人たちが誤った罪悪感を抱くようなことにならないために、最小限の説明はしようと思う。嫌なことや傷ついたこともいっぱいあったけど、感謝していることはその何倍もあるのだから、その気持ちだけは伝えようと思う。そう考えながら、今日も残務整理をこなす。